2005-01-01から1年間の記事一覧
昼過ぎに某IT企業で営業をしている大学時代の友人Uから晩御飯のお誘いメール。19時上野駅。駅ビルアトレの本屋で本を物色していたUと合流、街にくりだす。上野の街は相変わらず人が多く、雑多な雰囲気。モダンに整備された駅構内を出て通りを渡ると、軒先に…
僕のラップトップ、ThinkPadのR32がついに逝ってしまった。起動ボタンを押してマシンを立ち上げてもハードディスクは非常に微弱な回転音しか立てず、必要な回転数に達しないのか、いつまでたってもOSを立ち上げることができなくなった。 このラップトップに…
何かをデザインするのって本当に難しいものだと思います。実はどんなものでも、何かを創る作業というのはそうなのでしょうけれども、無限とも思える選択肢の中から有限個の要素を選びだして組み合わせ、ひとつの統合された外観を造るわけですから、それらの…
正しいことがしたいんだお天道様に顔向けできるよう。そして何よりも、愉しみたいんだ、この人生を。深い悲しみや激しい憎しみに身を焦がしても無力感に心が砕けてもそれでも身もだえするような幸せに、腹の底から笑いたい。それは不可能なことだろうか?僕…
情報もお金も溜め込むだけでは意味がない。というよりも、流れから囲い込んだそれらはもはや淀んでしまいその価値を失ってしまう。流れの中に身を置き、自分の上や下や内側を通過させてまた別のところへ流すことで初めてその価値は発揮されるものなのだ、情…
7回目のデザインがどうにもしっくりこなくて、色々いじっているうちにわけがわからなくなってしまい、どこの部分が気に入っていてどこの部分が不満なのか、それさえわからなくなって、ただなんとなくお気に入りだったh1の背景画像が全体のバランスをちぐはぐ…
議論は自分の主張で相手を説得するお節介行為の応酬の場だろうか? あるいは、人の価値観はそれぞれなのだから、自分の考えを主張する議論という行為は独善的で必要のないものなのだろうか? そう問いかけるのは、「お節介な」若者たちが集うテレビ番組『真…
二段カラムにしました。が、すでにマイナーチェンジを施すつもりでいます。二段カラムにしたせいか、全体のボリュームが減って、レイアウトに味気ない印象を受ける気がするからです。 ところで今回、ブログのデザインをああでもないこうでもないと玩んでいる…
「視聴率という大衆の剥きだしの嗜好に追随する現実を、公共性というレトリックに置換するために、「客観的な公平さ」という幻想を常に求められ、また同時にそれを自らの存在価値として、テレビは勘違いを続けてきた。」(P90) 「絶対的な客観性など存在し…
「豊かさとは何か、高度成長以降何度となく問われてきました。たぶんその解答をわたしたちは未だつかんでいませんが、貧しさから脱却したあとはその答えは一つでなくてもいいし、あるいはその問いそのものも必要ないのかも知れません。 自立を促すものは、希…
SOUL for SALE 「97年の輪廻」 ドキッとした。というのもまさしく僕は鈴木さんの4つ下で、僕の口癖は「努力すれば夢は叶う」で、僕が世間の人々に対して思っていることは「何でも世の中のせいにするのはムカつく、何もしない自分が悪いんじゃん」だからだ…
ヘミングウェイの『老人と海』が読みたくなり改めて新潮文庫版を購入したところ、訳者福田恆存氏のあとがき「『老人と海』の背景」に出会った。大学で学んだことではあるのだが、近代的自我観を基礎として発展した近代小説の起源と限界を説明する概説として…
シロヤギさんから届いたメール。 差出人: シロヤギさん宛先: クロヤギさんCC:件名: 夜分遅くに 失礼。返信しなくて良いよ。 シロヤギの独り言→クロヤギさんは行き詰まったときどうする?うちはなんだか人に相談とかできなくて独りでもやっとするのだけど…
まだそんなことを言っているのか、ではある。僕も懐かしさに、また、その質問から感じるある種の自己完結さに眩暈に似た感覚を覚える。だが、数ヶ月前、久しぶりに会った年上の友人が真顔で僕に訊くのである。お前はこの問いに説得力を持った回答を示すこと…
下書き状態にあった2005-01-12「欲望の低下」を公開しました。
ブログモードを採用しました。使い勝手に関してはいまのところ「フツー」という感じですか。 あと、「日記のタイトル用画像をアップロードする機能」も使ってみました。うーん、せっかくアップロードした画像がarchiveやプレビュー画面に表示されないのが残…
最後にブログを書いてから、ずいぶんとあいだが空いてしまった。言い訳がましいが、ブログに対して興味を失くしていたわけではない。その間ずっとひとつのテーマが僕の思考の中心を占めていて、それをうまく言葉にすることができなかったのだ。毎日エントリ…
最近、夜、走るのが日課になっている。エクササイズのためというよりもストレス解消のためだ。それ以外にもいくつか卑小な打算があるのだけどそんなことはどうでもいい。考え事ができるペースで走り、ぼんやりと物思いに耽るのだ。今日は走っている最中に、…
「難しい方を選択する人生」。よく聞く話で自分もそうだなと思うのだが、少し考えてみると、わかるようでわからない。 布施さんが引用されていた養老孟司先生の一言。「人生の分岐点で、先が見える選択肢と、どうなるか判らない選択肢の二つがあったら、不確…
同日に複数のエントリーがある場合。脚注ようテスト*1。 *1:「ブログモード機能の試験提供について、の続き」の脚注
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20050414/1113458396 実際にブログモードにするとこんな感じ⇒http://d2.hatena.ne.jp/unvisibleman/ 以下、はてなダイアリーへの要望
えらいことになった。零細ブログの拙エントリーに複数の方からトラックバックを頂いた。なかには「ARTIFACT@ハテナ系」なんて名前も・・・・。おかげでカウンターが見たことない速さで回りだし、僕は目を回し、頭のなかでは中島みゆきが『時代』のサビをエン…
両手が必要になった。もう何も言うまい。そう何も・・・。 表題の背景画がミレーの晩鐘を思わせるって? えっ、そんなこと言ってない? そうですか。僕もそんなこと言ってませんよ。
(2005 4/3 ちゅい記 タイトル変えました) 注目度は高かったと思う。途中、「格差をどう思うか?」という質問に対して、参加者のひとりが勘違いによる私憤の末に日本国中の茶の間にNHKが参加者に対して支払った出演料(交通費?)の金額を生放送でぶちまけ…
希望格差社会 コメント欄で教えていただいた内田先生のエントリー。以前書いた拙エントリーと重なる部分も多く刺激的だった。 ただ実際には、「『夢見る』子どもの自己評価をゆっくり下方修正させる」はずの学校教育の場は、全体的にみると、「個性の尊重」…
前回のエントリー(「自己処罰のスパイラル」)は前々回のエントリー(「ある都市遊民の肖像」)に続き、『宿命を越えて、自己を越えて』を読んで思ったことを敷衍して書きました。 「ある都市遊民の肖像」にも書いたことですが、彼の日記を読んで僕がまず驚…
ここ数日、林木林」「詩のボクシング」「水と木と」等の検索ワードで当ブログにお越し下さる方が微妙に増えております。お探しの単語が見つからない場合は、サイト上部にある検索ボックスにお探しのキーワードを入力し、「日記」ボタンをポチッと押すか、以…
節操もなく、またやっちまいました・・・。よければご意見・ご感想お待ちしておりやす。
自己処罰は麻薬のようなものだと僕は思っている。癖になるし一度ハマるとなかなか止めることができない。そして確実に自分を蝕んでいく。 自己処罰は快感を伴う。なぜならそれがストレスのはけ口になるからだ。そこには加害者である自分を安全圏に置いたまま…
僕はここに「ある都市遊民の肖像」を見る(『宿命を超えて、自己を越えて』)。 僕は24歳で彼は20歳だった。僕は働いていて、彼は逮捕された。だけど僕たちは驚くほど似通っている。 生まれてきたことを呪い、生まれてきたくなどなかったのだと叫び、生んだ…