人生巧者になろう

いまさら「ゆとり教育」などを持ち出してあれは間違いだったと始めるのはまるで無知ゆえの脳内妄想みたいで気恥ずかしいのだけど、それでも僕はこういう風に始めてみたい。ゆとり教育は間違いだったと。
世の中のあらゆる局面に優劣の比較が潜んでいることは小学生でも知っている。勉強の出来や運動神経、容姿やおもしろさやゲームのうまさなど、どんな場面でも優劣の差は現れる。たとえ運動会でみんなで一緒にゴールしたとしても、成績表の表示を曖昧なものに変えたとしても、直感的に嗅ぎとる優劣の差から逃れることなどできないし、コンプレックスや挫折感を拭い去ることはできない。
だから件のゆとり教育なるものは勝ち負けの色分けに疲れた大人たちの単なる欺瞞に過ぎなかったと思う。
大事なことはそうやって厳然と存在する勝者と敗者の差を子供たちの目から隠すことではなく、動かしがたく受け入れがたい現実を前にしたときにどうやって心が挫けることを防ぎそれを乗り越えるのか、そういった観点を提示しその方法を教えることだと思う。虚無に捕らわれないためのテクニック。まさにネバーエンディング・ストーリー*1
具体的にはまだわからない。僕自身も子供に伝えるべき確固たる解決策を掴んではいない。けれどもここ数年、モラトリアムが終わって社会に放り出された友人たちやその友人に忍び寄る虚無の影や、そこを切り抜けようとしている友人たちの姿を見て*2、その対策こそ、これから自分が獲得して、何よりも優先して子供たちに伝えていきたい(伝えなければ)と思うことなのだ。

まだまだ未熟者です。

*1:初めて『ネバーエンディング・ストーリー』を観たのはまだ小学生にあがるかあがらないかのころだったけれど、その中で語られる(カタカナの!)「キョム」が意味もわからずただ恐かった。地面がどんどん崩落していくことや陰惨な底なし沼、不毛の荒野、それが「キョム」なんだと思った。

*2:もちろん僕自身もそのひとりだ