シャンペンだけが人生か

 情報もお金も溜め込むだけでは意味がない。というよりも、流れから囲い込んだそれらはもはや淀んでしまいその価値を失ってしまう。流れの中に身を置き、自分の上や下や内側を通過させてまた別のところへ流すことで初めてその価値は発揮されるものなのだ、情報やお金って。大事なことはその水量を増やすことであって、どれだけため込んだかではないのだな。ということを痛感する日々。言ってみれば水力発電のようなもので、流れる水が情報やお金で、そこで発電される電力が人間の活力やバイタリティになるというか。「シャンペンみたいにきらきらした人生」というのはきっとそういうことなんじゃないかと思う。生きていない情報のなかで頭を抱えていてもしょうがないよ。