『老人と海』のあとがきに学ぶ近代小説史

 ヘミングウェイの『老人と海』が読みたくなり改めて新潮文庫版を購入したところ、訳者福田恆存氏のあとがき「『老人と海』の背景」に出会った。大学で学んだことではあるのだが、近代的自我観を基礎として発展した近代小説の起源と限界を説明する概説としてわかりやすかったのでここで紹介したい。
 福田氏のあとがきは20世紀前半のヨーロッパとアメリカの文学の比較にそのページの大半を割いている。読めば明らかなように、長年ヨーロッパの文学に親しまれていた福田氏は前者の文学観を前提に論じている。その文学観によって『老人と海』の中にそれまでのヘミングウェイ文学にはなかった「精神」を見出し評価したもの、それがあとがき「『老人と海』の背景」である。そして、当然のことながら、そこで述べられている近代的な文学観は、ヨーロッパの文学を輸入することで始まったわが国の近代小説の価値観を説明するものでもある。

 ここにAとBという二人の人間がいるとします。作者がこの二人の交渉を描こうとするばあい、時間の概念のうえにたったヨーロッパでは、その関係の必然性がどうしても過去に規定されがちであります。AがA’という町に棲み、BがB’という町に棲んでいるとすれば、AはA'の、BはB'の、それぞれの町の歴史や人間関係をうしろに背負っていて、そうかんたんには結びつけられません。また、ひとたび交渉が生じたにしても、両者の関係は、二人だけの自由意志によって無限の可能性を含んで発展しうるというようなわけにはまいりません。
 われわれが往々にして個性と考えがちなものは、じつはそういう特殊な過去の環境によって作りあげられたものなのであります。われわれはよく、作品のなかに、作者の個性を、あるいは登場人物の個性を求めます。それが何を意味するかと申しますと、ある特殊な過去の経験を背負っているひとりの個性が、べつの経歴を背負っている人物や環境と出あって生きにくさを感じながら、悩むことによって、ますます自己の特殊性を、いわば個性を発揮するのがおもしろいというわけであります。すなわち、AはBやB’にぶつかって、ますます自分がA’のAであり、B'のBであることを痛感せしめられる過程が小説に描かれるのです。
 だが、ひとびとはそれだけでは満足できなくなってきました。近代の個人主義は、他人とはちがう自分という意識をめいめいが自覚することを要求するのです。AはB'に棲んでいるBとはちがうことはもちろん、おなじA'に棲むほかの人間ともちがう、まぎれもないAでありたいと思いはじめたのです。(中略)
 妙ないいかたですが、十九世紀のヨーロッパの小説は、そういうわれわれの個人主義的な要求に応えて出現したものであり、その結果、読者は一種の知的虚栄心を満足させられます。というのは、その作品に描かれた複雑な心理の動きをすみずみまで理解し、それがそのまま自分の内面心理にあてはまると感じた読者は、この作品こそ作者が自分のために書いてくれたものだと感激するでしょう。よくもこれほど自分の心の内部を表現してくれたと思うでしょう。しかも同時に、その作品が人間心理の深いひだに立ちいっていればいるほど、そこに描かれたものが一般平均人の心理ではなく、特殊な、あるいは高度に洗練された人間のものであると思いこみます。
 いうまでもなく、これは矛盾です。読者のだれもが、これは一般人とはちがう「自分だけ」の気持ちを描いてくれたものだと感じるとすれば、それは「自分だけ」の気持ちではないはずです。そう考えてくると、個性とはいったいなにものか、どうもわけのわからない代物だということになる。ヨーロッパの近代小説は個性を発見し、個性を描きだし、個性的であろうとめざして、あげくのはてに個性を見うしなってしまったといいえましょう。
 第一次大戦後、イギリスに「意識の流れ」を描こうとする流派が出現しました。フランスでは「自意識の文学」とでも名づくべきものが出現しました。いずれも日本の分断に影響を与えましたが、両者は多少の差があるにせよ、要するに個性を追求していきづまったところに現れた一種のあがきと見てさしつかえありますまい。AがBと,あるいはBがAと、ちがう特殊性をもはや描けなくなったとき、いいかえれば、AもBもけっきょくおなじものとしか思えなくなったとき、さらに個性的なもの、特殊なものを追求しようとすればAやBをながめている自己をとらえるよりほかに手はなくなります。対象のAやBに差がなければ、しかもそのAやBの描きわけということでは先人がすっかり分析しつくしてしまったあとでは、残された唯一の手段は、ABをながめるながめかたに、その作家独自の個性をだすことでありましょう。(中略)
 ところで、そうまでして発見しえた個性というものに、われわれはどこまで信頼がおけましょうか。もちろん、それを描いた作家の個性と才能とは信頼できます。が、そうなると、われわれは個性的であるためには、芸術家にならなければならないということになってしまう。日常生活の場では、そうまでして得られた個性というものを信頼するわけにはまいりません。卑近な実生活の場には、行動によって外面的に形を与えられた心理しか、われわれは信用していないのです。早い話が、だれかが病気で医療費もないとき、いくらかれに深い同情を寄せいているといっても、それが形に現れなければ、われわれはその同情を信じることができない。また、だれかに感謝しているといってみても、それがなにかの形をとらなければ、そのまま本人のいうことを信じるわけにはいかないのです。
 同様に、ふだん自分は世俗的な行動をとっているが、それらは世間でふつうに受けとられるような意味とはちがう自分独特の動機や理由があってやっているのだと力んでみても、われわれはそのひとの個性を信用するわけにはいきません。意識の流れや自意識の回転を微細に描こうとした文学は、いきおい人間の行動から離れて、というよりむしろ外面的行動とは無縁の、あるいは行動とは反対の、内面的世界の表現に力を注いだのですが、それがどうしてもわれわれの生活とつながらない理由は、以上でだいたいわかっていただけたとおもいます。第一次大戦後のヨーロッパの文学は、いわば個人主義の限界にぶつかっていたと申せましょう。

 以前このブログのコメント欄で山崎正和『淋しい人間』から、今回と同じように近代的自我観について引用したことがあるのだが(参照)、どうも自分はいまだにこの近代的な「個性」だとか「個人主義」といったものをたっぷりと引きずっているらしい。両者とも書かれたのが僕が生まれた頃であることを思うと、さらに暗澹とした気分にもなる。好んで近代小説ばかり読んできたのだから当然といえば当然かかもしれないが。
 けど一方では、昨今の様々な事象を見るにつけ、果たして人々は、二十数年前にすでに指摘され、文学を機能させるメカニズムとしてはとっくの昔に見捨てられたそれらと本当にケリをつけることができたのだろうかと疑問を持たずにはいられない。