ある都市遊民の肖像

僕はここに「ある都市遊民の肖像」を見る(『宿命を超えて、自己を越えて』)。
僕は24歳で彼は20歳だった。僕は働いていて、彼は逮捕された。だけど僕たちは驚くほど似通っている。
生まれてきたことを呪い、生まれてきたくなどなかったのだと叫び、生んだ親が悪いのだと呪詛を吐きかけ、俺は結婚もしないし子供も生まない、なぜなら子供にとって生まれてくることが本当に幸せだという確証などなく、そもそも生まれてこなければそんな生きるだの死ぬだのと決して主観の域をでない答えしかでない悩みに苦しむ必要もなく、だからこそそんないちかばちかでひとりの人間をこの世に送り出すことなどできない、それは無責任だ、少なくとも俺はそんなことはしないと宣言し、自殺をちらつかせては下宿代、生活費を巻き上げ、現在の自分が果たして何者なのかなぜ斯様な自分になったのか、それを正確に言い表す言葉を求めて手当たり次第に本を読み、ああこの本があればもはや付け加えるべきことはなにもない、俺の考えていたことはすでに言い尽くされていると打ちひしがれ、いやそれでもおれには何かを成すことができるはずだ、この自分の悩みとそこから生まれる分析を思想の域まで高めるのだと部屋でひとり自らを奮い立たせ、また本を読もうとするが不安が掠めて気もそぞろ。本に集中できない。いったい俺はこうやって本ばかり読んでいて、実はそれもたいして読みたいわけでもなく、ただ何かから逃げていることを忘れるために首肯できそうな行為として読書を選んでいるに過ぎないのかもしれない、いやそうなのだ、さっさとこんなことはやめて「肉体労働」にでも従事して、考える余地のないぐらいくたくたに働くべきなのだと己を叱咤するが、いざ腹をくくって踏み込んだそこは、知性のかけらもなくそのことに気がつきさえいない世界の狭い、しかし声と態度だけは人一倍でかい鼻持ちならない連中が跋扈し、我慢できず、また部屋に逃げ帰り、やはり自分は駄目なのだ、そもそも生きることになんら積極的な価値を見出していない自分に親が汗水たらして稼いだ蓄えや、自分を生かすために日々死に続けている家畜や植物に見合う価値があるだろうか、否、いますぐこの命を絶つべきだと想い極まるが死ぬことさえできず、自棄になって、もう構うものかどうにでもなれ俺は最低な人間になってやる親の脛も齧り倒してやる環境問題も汚職も難民も不正もジェノサイドもどうでもいいさっさとみんなくたばっちまえそして俺も死ね俺はこのまま寝続けて栄養失調で自分を殺してやるのだと考えていると朝の4時。腹が減ったとコンビニで安い菓子を買って空腹をしのぐ、そんなことを繰り返している日々に父親からの電話、久しぶりに顔でも見せろ交通費はおれが出してやるからと言う。受話器越しの声からさえない父親の顔が浮かび気分が悪くなるが生活費援助をかざして帰郷を迫る。気が進まず実家にいる自分を想像するだに鬱々とするが不承不承承諾。生まれ故郷、実家、同窓、すべてが煩わしく濁って見え、グズグズ下宿を出るその足取りは重くまた実家を思ってうんざりするが、それでも帰郷のたびに白いものが増え肌の張りの失せていく両親を目の当たりにしては何かに怯え、息子の帰郷にご馳走をと腕を振るった母親の慣れ親しんだ手料理を食べ、出社する父親と学校にいく兄弟たちと朝食を共にし、久しぶりの生まれ故郷に自分を馴染ませているうちに自分の心が和んでいることに気がつき、これからはこの人たちのために生きよう、平凡な人生でもいいではないかと己を諭し、それはいつもとは違う人生の積極的な肯定であるような気がして、またそれが可能であるような気がして、実家を後にする。
彼の日記に認められた彼の思考、苦悩、希望、ループする感情、そのすべてが僕には現代に生きる“都市遊民の肖像”のように思えてならない。

 20日午後2時10分ごろ、静岡県下田市一丁目の下田署下田市中央交番に男が押し入り、持っていたナイフを応対に出た巡査(20)に突き付け、受付台の内側に入り込んで「拳銃をください」と脅した。
 巡査と、交番にいた巡査部長(49)がすぐに男を取り押さえ、強盗未遂などの現行犯で逮捕した。当時、交番には警察官計3人がいたが、いずれもけがはなかった。
 調べによると、男は同市二丁目、無職鈴木邦契容疑者(20)。調べに対し「自殺したいので、拳銃が必要だった」などと供述しているという。 
時事通信) - 2月21日0時1分更新