アラファト議長にまつわる日本人の記憶

 アラファト議長の死去が報道されたのが11日。それから大手メディアやネットではアラファト議長に関する情報がひとしきり流れ続けている。中東問題について私が語れることは少ないが、すくなくとも私にとってアラファト議長は歴史上のいち人物ではなかった。彼がメディアに登場するたびに私は「親しみ」とも思えるような感覚を彼に抱いている自分に気づいていた。決して政治的なシンパシーではない。古い記憶のなかにある懐かしさのようなものだ。それはなぜだろうと考えていたところ「田口ランディのアメーバ的日常」で次のようなエントリーを見つけた。
アラファト議長と「てんとう虫のサンバ」
 そう、そうなのだ。すっかり記憶の片隅においやられてしまい、その映像を見たということさえ忘れていたのだが、自分のなかにあるアラファト翁の少し困ったような、しかしそれゆえに親しみを感じることができる笑顔の印象がどこからやってくるのだろうと考えると、間違いなくこの『進め、電波少年』であった。そこに映し出されたアラファト議長は言葉もその目的も理解できない日本のコメディ番組の来訪に対して穏やかな笑みを浮かべたまま、わけの分からぬ女の行動に付き合っていた。
 そう、このカメラに映し出されたこのアラファト議長と松本明子の対面シーンは、政治的思惑とテレビ局的思惑が決して交わることのないまま進行してゆく実に奇妙な代物だった。まさかPLOの議長に、国際的要人に、「アラファ〜トわたーしが夢のぉく〜に〜♪」とデュエットを強要するなんて誰も考えつかない。その無謀さと思慮のなさはぶっちぎりだった。それゆえに一層あのアラファト議長の顔が記憶の襞に絡み付いているのだ。
 と昔の記憶を思い出していたら、噂のKNOY NEWSでその映像がアップされていた