村上龍 『だまされないために、わたしは経済を学んだ』

  • 「豊かさとは何か、高度成長以降何度となく問われてきました。たぶんその解答をわたしたちは未だつかんでいませんが、貧しさから脱却したあとはその答えは一つでなくてもいいし、あるいはその問いそのものも必要ないのかも知れません。
     自立を促すものは、希望と欲望ではないかと思います。希望は、今よりも将来のほうが「充実した生き方」ができる、という期待と確信で、欲望はその期待と確信を現実のものにしていこうという意志をドライブしていくものです。
     そして「充実した生き方」というのは社会的に決定されたモデルがあるわけではなく、他者や社会との関係の中から、自分の想像力でイメージするものだと思います。」(P165)
  • 「昔の映像を見ると、日本人は欲望を持った目をしています。パラサイト・シングルの増加は、確かに人口比で団塊世代ジュニアが増えているだけだという見方もできますが、いろいろな意味での動物的な欲望・エロス的な欲動が低下しているという捉え方も可能ではないかと思います。親との同居生活ではセックスの可能性が限られるからです。引きこもりの増加は、若年層の欲動が低下しているからだという心理学者の指摘もあります。本来自然界において、若い牡は牝の匂いを求めて巣立っていくものです。
     たとえば、高度成長以前より日本人の欲望が総体的に低下しているのではないかという疑問を持っているのですが、果たしてそういった経済的兆候、あるいは指標は存在するのでしょうか。」(P170)




“努力による回復”

 SOUL for SALE 「97年の輪廻」
 ドキッとした。というのもまさしく僕は鈴木さんの4つ下で、僕の口癖は「努力すれば夢は叶う」で、僕が世間の人々に対して思っていることは「何でも世の中のせいにするのはムカつく、何もしない自分が悪いんじゃん」だからだ。

90年代の後半になる頃から、ちょうどいっこ下の連中を境にして、「努力すれば夢は叶う」とか「何でも世の中のせいにするのはムカつく、何もしない自分が悪いんじゃん」といったことを言い放つ子がえらく増えてきた、というのを、大学の真ん中くらいの時から感じるようになって、すごく戸惑っていた。

 実際にはもちろんそれだけではないこと、つまり「努力しても夢が叶わない」場合があることは知っているし、自分がその底抜けの明るさを現実問題どこまで忠実に実行できているのかと問われると唸ってしまうけれど、それが自分の人生の行動原理として深く根付いていることもまた否めない。人や世間を非難して腐る前に、まずはやれることがあるだろうと。
 ただそういった人たちの中にも、その底抜けの明るさを何の疑いもなく実行している人もいれば、むしろそのような姿勢を「努力しても叶わない夢もある」「何をしても変えられない現実もある」という、人生の歩みを止めてしまいかねない絶望に絡みとられることを防ぐために採用している人もいて、僕自身は後者だと思っている。前者は主体の強度が強く、後者は弱い場合と分けることができるかもしれない。鈴木さんの戸惑いはどちらのタイプの人々に向けられているのだろう。
 また、うがった見方かもしれないけれど、「何でも世の中のせいにするのはムカつく、何もしない自分が悪いんじゃん」というスタンスはともすると問題を必要以上に個人に囲い込むことになりかねず、そのようにして物事の責任を実際以上に引き受けようとする姿勢には、以前このブログで書いた「自己処罰」(参照「自己処罰のスパイラル」)と何か通底するものがあるような気がしてならない。それは自己処罰欲そのものではないにせよ、そこには自己に対する正当性を欠いた期待値の高さや超純水のように溶解度の高い透明な自我(という幻想?)があるのではないだろうか。そしてその飢餓感は鈴木さんが言う「97年的なもの、独立独歩、自己責任、都市の中の孤独、努力による回復」のうち、「努力による回復」という言葉にもっとも示唆されているように思う。
 と、ここまでは概ね鈴木さんの主張に納得する形で我田引水的に書いてきたのだけど、最後のパラグラフで仰っていることがよくわからなかった。

97年の回帰は、僕にしか見えていない幻なのかもしれないけど、どうにも僕には、文化の売られ方が間違っていたことに、ようやく気づいた20〜30代の人々が、自分たちの文法で売り物を作り始めた結果生じている出来事のように思えて仕方がない。

 「文化の売られ方が間違っていた」というのは97年以前、あるいは「2000年代前半の短絡」という理解でいいのだろうか。また、そのことに「ようやく気づいた20〜30代の人々」というのはいまその年代にいる人たちということでいいのだろうか。というのも、いまその年代にいる人たちというのは、ちょうど鈴木さんがいう97年ごろにそのような「97年的なもの」の中で育ち、それを行動原理としてその後の10年を生きてきたのではないかと思うからだ。だとすると、かつて彼らが慣れ親しんだ「97年的なもの」はどのようにして現れたのだろうという疑問が生まれる。また、文化の売られ方としてはすでにその97年時点で変化していたのではないのか。
 ちなみに「97年の回帰」とは昨今の時代錯誤的な、97年的な「努力や、革命のストーリー」の興隆のことだと理解しているのですが。
 お話をもう少し詳しくお聞かせ願えませんか?

『老人と海』のあとがきに学ぶ近代小説史

 ヘミングウェイの『老人と海』が読みたくなり改めて新潮文庫版を購入したところ、訳者福田恆存氏のあとがき「『老人と海』の背景」に出会った。大学で学んだことではあるのだが、近代的自我観を基礎として発展した近代小説の起源と限界を説明する概説としてわかりやすかったのでここで紹介したい。
 福田氏のあとがきは20世紀前半のヨーロッパとアメリカの文学の比較にそのページの大半を割いている。読めば明らかなように、長年ヨーロッパの文学に親しまれていた福田氏は前者の文学観を前提に論じている。その文学観によって『老人と海』の中にそれまでのヘミングウェイ文学にはなかった「精神」を見出し評価したもの、それがあとがき「『老人と海』の背景」である。そして、当然のことながら、そこで述べられている近代的な文学観は、ヨーロッパの文学を輸入することで始まったわが国の近代小説の価値観を説明するものでもある。

 ここにAとBという二人の人間がいるとします。作者がこの二人の交渉を描こうとするばあい、時間の概念のうえにたったヨーロッパでは、その関係の必然性がどうしても過去に規定されがちであります。AがA’という町に棲み、BがB’という町に棲んでいるとすれば、AはA'の、BはB'の、それぞれの町の歴史や人間関係をうしろに背負っていて、そうかんたんには結びつけられません。また、ひとたび交渉が生じたにしても、両者の関係は、二人だけの自由意志によって無限の可能性を含んで発展しうるというようなわけにはまいりません。
 われわれが往々にして個性と考えがちなものは、じつはそういう特殊な過去の環境によって作りあげられたものなのであります。われわれはよく、作品のなかに、作者の個性を、あるいは登場人物の個性を求めます。それが何を意味するかと申しますと、ある特殊な過去の経験を背負っているひとりの個性が、べつの経歴を背負っている人物や環境と出あって生きにくさを感じながら、悩むことによって、ますます自己の特殊性を、いわば個性を発揮するのがおもしろいというわけであります。すなわち、AはBやB’にぶつかって、ますます自分がA’のAであり、B'のBであることを痛感せしめられる過程が小説に描かれるのです。
 だが、ひとびとはそれだけでは満足できなくなってきました。近代の個人主義は、他人とはちがう自分という意識をめいめいが自覚することを要求するのです。AはB'に棲んでいるBとはちがうことはもちろん、おなじA'に棲むほかの人間ともちがう、まぎれもないAでありたいと思いはじめたのです。(中略)
 妙ないいかたですが、十九世紀のヨーロッパの小説は、そういうわれわれの個人主義的な要求に応えて出現したものであり、その結果、読者は一種の知的虚栄心を満足させられます。というのは、その作品に描かれた複雑な心理の動きをすみずみまで理解し、それがそのまま自分の内面心理にあてはまると感じた読者は、この作品こそ作者が自分のために書いてくれたものだと感激するでしょう。よくもこれほど自分の心の内部を表現してくれたと思うでしょう。しかも同時に、その作品が人間心理の深いひだに立ちいっていればいるほど、そこに描かれたものが一般平均人の心理ではなく、特殊な、あるいは高度に洗練された人間のものであると思いこみます。
 いうまでもなく、これは矛盾です。読者のだれもが、これは一般人とはちがう「自分だけ」の気持ちを描いてくれたものだと感じるとすれば、それは「自分だけ」の気持ちではないはずです。そう考えてくると、個性とはいったいなにものか、どうもわけのわからない代物だということになる。ヨーロッパの近代小説は個性を発見し、個性を描きだし、個性的であろうとめざして、あげくのはてに個性を見うしなってしまったといいえましょう。
 第一次大戦後、イギリスに「意識の流れ」を描こうとする流派が出現しました。フランスでは「自意識の文学」とでも名づくべきものが出現しました。いずれも日本の分断に影響を与えましたが、両者は多少の差があるにせよ、要するに個性を追求していきづまったところに現れた一種のあがきと見てさしつかえありますまい。AがBと,あるいはBがAと、ちがう特殊性をもはや描けなくなったとき、いいかえれば、AもBもけっきょくおなじものとしか思えなくなったとき、さらに個性的なもの、特殊なものを追求しようとすればAやBをながめている自己をとらえるよりほかに手はなくなります。対象のAやBに差がなければ、しかもそのAやBの描きわけということでは先人がすっかり分析しつくしてしまったあとでは、残された唯一の手段は、ABをながめるながめかたに、その作家独自の個性をだすことでありましょう。(中略)
 ところで、そうまでして発見しえた個性というものに、われわれはどこまで信頼がおけましょうか。もちろん、それを描いた作家の個性と才能とは信頼できます。が、そうなると、われわれは個性的であるためには、芸術家にならなければならないということになってしまう。日常生活の場では、そうまでして得られた個性というものを信頼するわけにはまいりません。卑近な実生活の場には、行動によって外面的に形を与えられた心理しか、われわれは信用していないのです。早い話が、だれかが病気で医療費もないとき、いくらかれに深い同情を寄せいているといっても、それが形に現れなければ、われわれはその同情を信じることができない。また、だれかに感謝しているといってみても、それがなにかの形をとらなければ、そのまま本人のいうことを信じるわけにはいかないのです。
 同様に、ふだん自分は世俗的な行動をとっているが、それらは世間でふつうに受けとられるような意味とはちがう自分独特の動機や理由があってやっているのだと力んでみても、われわれはそのひとの個性を信用するわけにはいきません。意識の流れや自意識の回転を微細に描こうとした文学は、いきおい人間の行動から離れて、というよりむしろ外面的行動とは無縁の、あるいは行動とは反対の、内面的世界の表現に力を注いだのですが、それがどうしてもわれわれの生活とつながらない理由は、以上でだいたいわかっていただけたとおもいます。第一次大戦後のヨーロッパの文学は、いわば個人主義の限界にぶつかっていたと申せましょう。

 以前このブログのコメント欄で山崎正和『淋しい人間』から、今回と同じように近代的自我観について引用したことがあるのだが(参照)、どうも自分はいまだにこの近代的な「個性」だとか「個人主義」といったものをたっぷりと引きずっているらしい。両者とも書かれたのが僕が生まれた頃であることを思うと、さらに暗澹とした気分にもなる。好んで近代小説ばかり読んできたのだから当然といえば当然かかもしれないが。
 けど一方では、昨今の様々な事象を見るにつけ、果たして人々は、二十数年前にすでに指摘され、文学を機能させるメカニズムとしてはとっくの昔に見捨てられたそれらと本当にケリをつけることができたのだろうかと疑問を持たずにはいられない。

食べられなかった手紙

シロヤギさんから届いたメール。

差出人: シロヤギさん
宛先: クロヤギさん
CC:
件名: 夜分遅くに
 失礼。返信しなくて良いよ。
 シロヤギの独り言→クロヤギさんは行き詰まったときどうする?うちはなんだか人に相談とかできなくて独りでもやっとするのだけど、たいてい良い結果は得られないのよさ。うまく生きられないなぁ。

クロヤギさんの返信。

差出人:クロヤギさん
宛先: シロヤギさん
CC:
件名: 問わず語り
 僕もあまり人に相談しないね。そもそも自分の現状を「行き詰った」と感じることがあまりないから、人に相談する機会が少ないのかもしれない。例外は君の彼氏のガゼルくんだけだよ。ガゼルくんにはわりと色々な話をするし、そのなかには相談事めいた話もあるからね。それでもそれは相談というよりも、いろんなことと絡めて話そのものを楽しむことのほうが多い気がするよ。ガゼルくん以外の人間に「相談」めいた話はしたことがないかな、ひょっとすると。
 もちろん、「うまく生きられているか」と訊かれれば答えはいつもNoだけど、「行き詰ったと感じているか」と訊かても、答えはやっぱりいつもNoなんだ。それは、優秀だからとか、洋々とした人生を送っているという意味ではなくて、頭が鈍くて、往々にして、自分が人生の袋小路を突き進んでいることに気づかないからなんだけどね。表面的には悲観的な人間に見られがちなんだけど、根本の部分で僕はある種致命的に楽天的というか。それともうひとつは、その行き詰った現状は誰かに決めてもらった結果としてあるのではなくて、自分で選んだものなんだという信念があるから、行き詰った現状には納得がいくし、納得した段階でそれは「行き詰った感じ」ではなくなっているというのもある。
 これはガゼルくんがよく知っているんだけど、僕は何かを決めるときはちゃんと自分で考えて納得した上で、自分で選び取りたい性格なんだよ。ただ頭がよくないから、その答えを見つけるのにたぶん人よりも時間がかかってる。自分でも、人の助言を素直に聞いていればもっと効率よく、もっとうまく人生を生きられるんだろうなとは思うけど、こればかりはしょうがない。それで損をすることも多いけど、何が大事かって、最終的に、自分が納得できるかどうかという気がするから。
 あとは、「行き詰る」にもいろんなレベルがあるからね。彼女との関係で行き詰っているのと、人生の進路で行き詰っているのと、勉強で行き詰っているのとでは問題の種類も違ってくるし、当然対処の仕方も変わってくるでしょう。
 僕がここまでメールで書いてきたことは「生きる」というレベルの話で、シロヤギさんがどのレベルの行き詰まりを感じているのかわからないから、ひょっとしたらこのメールはシロヤギさんにとってすごく大げさな話、あるいは的外れなメールになっている恐れはある。もらったメールの最後に「うまく生きられないなぁ」という一文があったから、シロヤギさんのいう「行き詰る」というのは人生の話かなと推察しているんだけど。

 結局のところ、最終的に、自分が自分の人生に何を優先して求めるかということになるんじゃないかな。つまり、自分にとって「うまく生きること」が大切なのか、「自分で納得できる生き方」が大切なのか。もちろんその両方ができればそれに越したことはないわけで、非凡な人、優秀な人、才能のある人は問題なく、もしかすると意識することさえなく、その両方をやり遂げてしまうけど、残念ながら僕には両方を同時に追求するだけの能力は与えられていなかった。いやそれは「与えられる」ものではなくて「自分で獲得するもの」かもしれないけれど、とにかく現状ではそのふたつを同時にやり遂げる能力は自分にはない。そしたらどちらがより大切かを見極めてそれを追求していくしかないと思うんだよ。僕にとっては「自分で納得できる生き方」のほうが大事だった。
 それから、うまく生きることができないなら、これはもう、悩み抜くしかないかなとも思うよ。僕の場合、仮にうまく生きることに専念したとしても、きっと途方もなく虚しい気持ちを抱えてしまい、いつかそれを爆発させてしまうと思うんだ。そんな人生は絶対にいやだ。
 たぶん人生は虚しいし、その度合いは違うにせよ、誰もが閉塞感を感じて生きていると思うんだ。一見「うまく生きている」ように見える人でもね。ましてや自分に素直な人や、まじめな人ならなおさらだろう。なぜならそれはどんな生き方をしても、人間が意識を持った瞬間から背負った宿命として、ついて回るものだから。つまり、心は自分はなぜ生きているのだろうと考え、生きる意味、いまここにいる意味を求めてしまうのに、本来自分が生まれてきたことに意味はないから、いつまでたっても心に虚しさが残ってしまう。
 人によってはその「もやっ」って気持ちをカラオケで熱唱したり、おいしいものを食べたり、お酒飲んで酔っ払ったり、服や貴金属やインテリアを買ったり、エステや旅行に行ったり、車を走らせたり、スポーツしたり、セックスしたりして解消しているけれど、それで完全に解消できるわけではなくて、一時的にその穴を充たしているに過ぎないんだ。すぐにまた「もやっ」としてくるし、だからそれを忘れさせてくれる逃避方法は気持ちいいと感じるし、人生において手放せないものになる。
 自分のなかの空洞に耐えるという意味では、宗教も同じだね。宗教はその空洞を名前のついた価値観で充たすことで不安を忘れさせてくれるから。いや、より正確には、その言葉にならない「もやっ」としたものに名前を与えることで、「不安」という目で見え、手で触れることのできる形あるものにして、その虚しさを耐えられるものに変えてくれると言ったほうがいいのかな。

  けどその熱から醒める一時、人は誰でもゾッとするほど寒々しい存在の無意味さと対面して、震えることさえできない真空地帯で自分が透明になる瞬間を感じているんじゃないかな?

 僕は、それから目を逸らしたくないんだ。それを忘れようとする行為はまるで「呆けている」ようで嫌なんだよ。一見、人一倍そういうのが好きなんだけど、それに没頭している最中でも、心のどこかで「いまやっていることに意味なんてない」と思ってしまう醒めた自分がいて、何かに心の底から没入することができないんだ。なら、いっそのこと、その「もやっ」とした気持ちから目をそらさずに向き合いたいと思うし、それが僕にとっての「納得できる生き方」なんだよね。それを追求している限り、うまい生き方ではないにせよ、「行き詰っている」とは感じないというか。
 余談だけど、君が好きな村上春樹という作家が一貫して描いてきたものは、そういう言葉にならない空洞の存在と、人はそれとどのように向き合っていくのかということだったんじゃないだろうか。

どうして人を殺してはいけないのか? (1)

 まだそんなことを言っているのか、ではある。僕も懐かしさに、また、その質問から感じるある種の自己完結さに眩暈に似た感覚を覚える。だが、数ヶ月前、久しぶりに会った年上の友人が真顔で僕に訊くのである。お前はこの問いに説得力を持った回答を示すことができるかと挑発されているようでもあった。「どうして人を殺してはいけないのか?」。
 この問いが挑発的に感じられた理由は、それが社会の自明性を否定するものだからというだけでなく、そう問いかける彼らの姿勢の内に、彼が自問自答の果てに見出した(と考えている)「それに対する絶対的な回答はない」という結論があらかじめ用意されているように感じたからかもしれない。回答のない問いを問う姿勢が挑発的に思えたのだろう。
 あの季節以降、それに対する回答は各所で述べられてきた。そのなかには、概ね説得力を持っていると思える回答も提出されていたし、その半分ぐらいは正論として受け入れてもいいと思えるものだった。それにも関わらず、「どうして人を殺してはいけないのか?」と問う人々にそれらの回答が本当に説得力を有していたかというと僕は疑わしいんじゃないかと思う。たとえば、大江健三郎をして「この質問に問題があると思う。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ」と言わしめたあの討論番組の青年のように。それまで自明と思われていた価値観や正論的な回答ではなぜ彼らには届かないのだろうか。
 先に挙げた、あらかじめ回答はないという回答を用意して質問する人々の姿勢に表れているのだが、その理由を僕は自意識の外に彼らの意識が働いていないからだと考える。「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに自意識内のロジックだけで答えることはできない。なぜならその命題がすでに他者との関係のなかでしか考えることのできない問題だからだ。そして自意識の内側に留まっている人間にその問いに対する回答の本質的な部分(他者との関係性)が通じないのは、他者への想像力が欠如しているからというよりも、その想像力を培う他者との経験が不足しているからだ。
 だから僕は、先の大江健三郎の言葉とは逆に、自意識が拡張し社会と自己の関係を再構築している最中の思春期の子供たちからこのような問いが発せられるのは至極当然なことだと思う。また、部屋に閉じこもり他者との関係が希薄になった人間にもその可能性はあると思う。というよりも、この意識の内と外のバランスがとれず、思考が自意識のロジックによって占められた人なら誰でもこの問いを発する可能性を持っているというべきだろう。
 どうして人を殺してはいけないのか? それは法律がそう定めているからだ。そして、法律とは共存のための合意を明文化したもののことだ。共存とは画一化された集合を意味せず、利害の対立する他者をも許容することである。重要なのは法律で決められていることではなく、なぜ法律というものがあるのかを考え、共存という視点に意識を働かせることだ。自分が生存するために、他者の生存を認める。誰かに不当に殺されないために、誰かを不当に殺さない。それだけのことであり、良心や残された家族や友人の悲しみといったものは、ある意味では人を殺してはいけないという主張を補強するための後付けの説明にすぎない。欲望する主体であるあなたが欲望し続けるためにあなたは誰かを殺さないのだ。(つづく)

さっそくですが・・・

ブログモードを採用しました。使い勝手に関してはいまのところ「フツー」という感じですか。
あと、「日記のタイトル用画像をアップロードする機能」も使ってみました。うーん、せっかくアップロードした画像がarchiveやプレビュー画面に表示されないのが残念かも。できるだけサーバーに負担かけないようにとか、そういうことなのかな?
以上ご報告まで。