信じるべきは何か?

 いろんな価値観が音をたてて崩れていった跡に残ったものは、本当に正しいものなどなにもなく、何もかもは人間同士の関係性のなかで醸成される漠とした総意によって決められているのだという眩暈だけだった。またその眩暈の原因は、そのようにして形成される価値観さえもたえず流動し続け築かれていくそばから崩れていくものなのだという事実によって、直視することのできる拠りさえ持たず、さらなる眩暈を引き起こす。だとすれば何を信じて生きていけばいいのだろうか。