御大層なひとりごと

 人生は一度しかないのだから、悲しいときは感情のままにおもいっきり感情に溺れたい。それがいまの社会でとても効率の悪いことだとしても、悲しいときは自分に同情した日々を送ってもいいじゃないか。それが一年になろうとも。そのかわり、やりたいことに没頭しているときは寝るのも忘れて頑張りたい。寝食を忘れて、というやつだ。
 安定や保障のために自分を抑えて生活して、そこそこ満ち足りた快適な生活をして、だからなんなんだと思う。いつか、そうやって人生の大半が過ぎたあとで、その人生にどんな意義を見出すのだろう。もちろん何かしらの意義は生きて年を重ねている限り見つかるものだろうけど、それは自分の望んだ人生とは大きく違ったことになっているような気がしてならない。
 こうやって感情のままに生きることはすごく不器用な生き方なのだろうし、いまの社会ではそういった言葉では済まされない、「生活不適合者」ということになる恐れすらある。だからなんなのだ?社会に最適化しないとやっていけないほど感情というやつがやっかいなものだとして、そうやって適度に切り貼りした感情を果たして感情と呼べるのだろうか。そうやって感情の最適化を求める社会というやつが本当に人を・・・。これはいうまい。
 けどひどく不自由だ。