ニコライ・カプースチン「8つの演奏会用エチュード」の発売決定

カプースチン:8つの演奏会用エチュード昨日、注文していたCDがようやくAmazon.co.ukから届く。発注してから80日後の、はっきり言って遅すぎる到着。帰宅すると、見覚えのあるAmazonのボール紙に包まれた小包がドアポストから飛び出ていた。

(って、おいおい・・・・配送業者よ、盗まれたらどうする?)

届いたCDはニコライ・カプースチンの『Jazz Pieces For Piano』。お目当てはこの中に納められた「8つの演奏会用エチュード」だ。知ったのは今年の3月。ニュースステーションで、16歳のピアニスト辻井伸行君がこの曲の第2番<夢>を演奏するのを聴いたとき。それが実によかった。音楽に疎い私はそれが辻井君の演奏によるものなのか曲自体によるものか判断できないが、そのクラシックともジャズとも聴こえるピアノ曲の素晴らしさに私はすっかり中(あ)てられてしまった。クラシックの緻密さとジャズのユニークさを(あるいはクラシックのユニークさとジャズの緻密さを)あわせ持ったような作品だったと言えばいいか(これは「8つの演奏会用エチュード」に納められたほかの曲にもいえる)。演奏が終わるころには、これは是非手に入れなければと思っていた。

ところが、その時点で、国内で「8つの演奏会用エチュード」を含む唯一のCD『自作自演集 8つの演奏会用エチュード』はすでに販売中止になっていた。Amazon.co.jpHMVはもちろんのこと、google検索もかけて在庫のあるお店を探したが、出てくるのは購入者の楽曲の素晴らしさを伝えるコメントと、わずかに存在するカプースチンファンのサイトだけという始末。もともと需要はそれほど多くないのだ。まちがっても何百万枚なんて数の在庫は用意されていない。求めるCDはいっこうに見つからないまま、カプースチンに関する情報だけが溜まっていく。これほどもどかしいこともない。対象不在のまま掻きたてられていく私の欲望。

恥ずかしいことに、外国のAmazonを試そうと思いついたのはそれから4ヶ月もあとのことだ。「カプースチン 8つの演奏会用エチュード」を「Kapustin Eight Concert Etudes」に替え、Amazon.comを経由してようやくAmazon.co.ukでEight Concert Etudesを含むCDにたどり着いたのである(ちなみにcomのほうは在庫切れになっていた。そんなに需要は限られているのか・・・)。

このように個人的なトホホなエピソードを持つ楽曲であるが、今日このダイアリーのために「はまぞう」で再び検索をかけてみると11月7日販売予定の文字! 驚いて調べてみると、このほど再販を求める声の高まりに応えて発売が決定されたということらしい。11月7日って、あと数週間じゃないか・・・(詳細)。
という、オチまでついたニョホホな話。


カプースチン普及のため精力的に活動されているサイト
「カプースチンの世界」
カプースチン音楽と人となりについてはこの訪問記がわかりやすい
「モスクワ訪問記〜カプースチンに会う〜(前編)」
「モスクワ訪問記〜カプースチンに会う〜(後編)」

クラシック音楽の側から見ると、このようなジャズみたいな音楽は真面目には受け入れがたいように見えるが、カプースチンの記譜した楽譜を丹念に読んでみると、実はクラシックの厳密なスタイルで書かれていることに驚かされる。それは一貫した書法であって、ジャズ特有の即興演奏がすべて音符として細部まで書かれ、本来即興で弾かれるような部分をすべて最良のもので埋め尽くし、そしてそれを“ソナタ形式”などの美しい構成を用いて1曲1曲をまとめているのである。作曲者のこだわりもまさにそこにあるようだ。聴く者を簡単に飽きさせない彼の音楽の魅力は、そのような緻密な作曲に理由があるのだと思う。現時点で作品番号は108を数え、その創作意欲はいまだ衰えていない。

かといって、これはカプスーチンという作曲家(の作品)が実験的(意味わからん)マイナーなモダン・クラシック/ジャズ志向ということを示してはいない。むしろ「8つの演奏会用エチュード」などは、ラヴェルドビュッシー、バッハなどのメジャーなピアノクラシックや、あるいは上原ひろみのアルバム『Another Mind』と通低するキャッチーな要素を持っている。もちろん、ポップに回収されうる要素を前提にしながら、それでも回収されえない何かを持ち合わせているのですが。