逆引き辞書

 言葉の意味は覚えているのにその言葉が出てこないというもどかしい経験は誰にでもある。私はといえば、一年中もどかしい思いをしている。誰かと話していてックと言葉に詰まる。意味は覚えているのに肝心の言葉が出てこないからだ。あるいは読書中に同じ意味の言葉を見つけたとき、さて何と同じだったんだろうかと考え込んでしまう。
 それが自宅なら不快感を払拭するべく奔走することもある。まずは辞書で近い言葉の意味を探してみる。幾つか思い当たるキーワードを手がかりに目標への接近を試みる。が、そういうときの辞書はまるで他人顔だ。いつも親切に言葉の意味を教えてくれる同じ辞書とは思えない不親切さで満ち溢れている。私は途方に暮れて、時間は確実に過ぎていく。
 意地になる私は、次に半泣きになりながら、その言葉を見かけた覚えのある本を探すことを試みる。微かな記憶を頼りに、それらしい本を次から次にひっぱり出しては繰っていく。イライラしながら忙しなくページを繰っては捨てていくその姿はもはや常人のそれではない。部屋には役立たずと罵られ投げ出された本が山積し、それはさらなる混乱を私に齎す。そしてその奮闘劇の果てにあるのはほとんどの場合、過ぎていった時間への後悔と無力感だけだ。
 要するに、私はあまり頭がよくない。
 そんな私が中学校の図書室で生まれて初めて逆引き広辞苑を見つけたとき、私は文字通り狂喜した。そうこれだよこれ、これが欲しかったんだよ、《意味から逆に言葉を調べる辞書》。私はモップを壁に立てかけると、そのブ厚い辞書を抜き出しそっと表紙を開いた。・・・・・・・・・。
 ここでは若い諸兄のために(もしそんな方がいるとすればの話だが)逆引き辞書の正しい使い方だけを述べるに留める。逆引き辞書とは、間違っても意味から逆に言葉を調べる辞書のことではない。逆引き辞書とは、「綴りの末字から遡って逆順に引く」ためのものだ。
 自分の間抜けな勘違いを知った私は、そのクソ重い辞書をぼすんと閉じると背表紙の方からカバーに入れて棚に戻し、友人がハマっていた「次は『中野重治全集 第二巻』のP78を見よ」という落書きを手伝うためその場を離れた。

 それからおよそ10年と2年。私を含む世界は大して変化なんかしてないようなフリをして、それでもやっぱり変わった。シーツや食べかけのクッキーの上に逞しい黒い毛が落ちていて掃除をする回数が増え、同じように少しずつ周囲で花粉症に苦しむ人間が増えた。マシェリ吉川ひなのが消えてアジエンスチャン・ツィイーは美人だ。アメリカの大統領がブッシュからクリントンに代わり、またブッシュになった。W村上から大江健三郎を経ていまは星野智幸舞城王太郎がお気に入りだ。
 そして気がつけば、私が欲しかった《意味から逆に言葉を調べる辞書》はいつの間にかインターネットの中であっけなく実現されていた。「を解説に含む」。