失われたトポスの記憶

中央アジアの一角、ウラル・アルタイ語族の名で知られ日本人のルーツともされる人口30万人の国、アルタイ共和国。そこに幾層もの重低音が共鳴しあう超重低音の歌声とセンシティブな高音を自在に操り、一度は滅びた喉歌「カイ」を再び神話の域まで高めようとする歌い手がいる。アジアの真珠、アルカイ共和国の歌手ボロット・バイルシェフその人である。そのボロットが来日し、「宇宙の命脈」というコンサートが東京飯田橋トッパンホールで開かれた。(続く) 

宇宙の命脈
 仕事の都合で上京した父を家に放ったらかしたままいそいそと都内に出かける。前日から降り続く雨は夕刻を過ぎたころにはあがり、時折思い出したように降る糠雨の下、雨に濡れた夜の都内はいつもよりも澄んで輝いていた。雨上がりの晩秋の心地よい寒さに家路に急ぐ勤め人らもどこか洗われたような表情、お仕事ご苦労様です。それに較べてトッパンホールは暖房が効きすぎていて暑かった。
 18時半開場、40分ごろに着く。予想していたよりも盛況。コギレイな会場に似つかわしい装いをした御方々も散見する一方、神秘事に強い関心を持っていると思われる不思議系のネイちゃんや草履履きのアンちゃんもいて納得。客層はやはりさまざま。金曜日の夜の余暇をコンサートで優雅に過ごさんとするプチブルから田口ランディの熱心な読者と思しきシティーガール、鹿爪らしい面持ちのシャーマン予備軍までひと通り揃っている。むべなるかな。金曜日の夜はこうでなくちゃ。
 ロビーでは今宵のコンサートにちなんだ品々を販売している簡易売店も設けられ、座席を確保したうえで開演までの時間をつぶす物見高い人々であふれていた。黒山(茶山?)の人だかり。ボロットのCDやTシャツ、伝統工芸風のアクセサリーやコムスと呼ばれる民族楽器の口琴に混じってアルタイパンなるものが販売されていて目を惹く。アルタイパンとは何ぞやと思ってみてみると、要するにラムのひき肉が詰まった菓子パン。見た目はどうみても日本のあんぱん風だが、200円ということでとりあえず購入、人垣を掻き分けて早々に戦線離脱する(そのあと食べる機会がなく家に持って帰るも、不慣れな東京の安普請のアパートでひとり寂しく息子の帰りを待たせていた父の手前「コンサートを楽しんできた」ともその痕跡を見せることもできず、翌日父が帰郷するまで鞄のなかに保存。幾分油が浮き出してはいたが味が濃くておいしかった)。
 開演時刻19時。ざわついた雰囲気のなか音楽家巻上公一氏が現れる。写真よりも背が高く躰の線が細いことに驚く。喉歌の使い手はもっとこう、テノール歌手のような体つきかと思っていた。そう言えば「ほぼ日」に巻上氏が出演していたときに、「『ファントの法則』というのがあって、身長と声の基本周波数の高さとは反比例するんです」と鈴木松美氏が言っていた(詳細はこちら。あらためてこのページを確認したところ、対談上で巻上氏が身長は168cmと言っていて驚く。舞台の巻上氏は175cmぐらいはあるように見えたよ)。
 開演の挨拶もそこそこに早速巻上氏と佐藤正治氏の演奏が始まる。演奏? 自分で演奏といっておいてなんだが、あれは演奏というほど形式的な行為ではなく、むしろスポーツの前のストレッチとか祭祀の前のお清めに近い行為だった。ボロットが登場するにふさわしい場の空気を醸し出すための音楽的儀式。ふたりが細長い棒切れのようなものを持って舞台の左右に立つ。それを牛飼いの少年が牛を追いたてながら手にした木切れを振るように、空を切ると、会場に高さの違うふたつの音が小さく響く。感じとしてはナウシカが使う蟲笛のような音。強弱の波となって聴こえたり聴こえなかったり、音遊びみたいな印象。巻上氏が一定のリズムでその音叉のような音を響かせるなか、佐藤氏は楽器を打楽器に持ち替え一定のビートを刻んでいく。少しずつ音が音楽にかわっていき、観客が舞台に集中していくのを他人事のように感じる。
 そうして会場に十分に音が浸透したところで袖からボロットが登場した。中央アジアの民族衣装らしい、白く縁取りされた蒼い繻子のローブと同じ模様の帽子をかぶり、先のとがった白いブーツに身を包んだボロットは三人のなかでもひときわ背が高く、静かな存在感がある。そのボロットが初めて聴く喉歌「カイ」の第一声を発する。
 人の声とはとても思えない。声というにはあまりにも人間の体からそれが発せられることに違和感を覚えてしまうような音。まるでサンプリングした音におもいっきりエフェクトをかけたような声。けれどその音は間違いなくボロットから発せられている。マイクすら通していない。
 その歌声を聴いてこれは何だったっけなと考えてすぐに思いつく。無数の修験者たちが声を揃えて唱える経だ。まるでボロットの中で何人もの僧侶がもはや習慣のひとつとなった淀みない読経を一糸乱れず唱えているるよう。その超重低音の歌声はマイクを通すことなく400人が入るホールの隅々まで響き渡る。しかも恐ろしく澄んでいる。彼が謡う英雄叙事詩は、齢130歳を超えた長老の知恵とムラで一番美しい青年の情熱が同時に宿ったような歌声で語られる。その「音」は宇宙と大地が交差する人々の意識のうちに眠る太古からの記憶を呼び醒ます。だから経のように荘厳でどこか懐かしく響く。
 その歌声は潮騒や地鳴り、梢の風に吹かれてそよぐ音のように聴く者のうちに、文字通り、満ちていく。それは私たちの中にある大地との結びつき――現代の日本に生きている私たちが兎角忘れてしまいがちでそれでもなお私たちのうちにあるもの――をそっと優しく呼び覚ます行為だ。語られる言葉は理解できなくてもその温もりや手触りは無数の振動に変換されて皮膚感覚で浸透してゆき、躰の底にある水面にひとつの小さな波紋を作る。やがて波紋が全身に拡がり世界と共鳴するような感覚を覚える。シャーマニズムが人間と大地を繋ぐひとつの儀礼であるならば、ボロット・バイルシェフは間違いなく現代のシャーマンであった。気がつくと第一部終了。もっと、もっと聴いていたい、ずっとボロットの音のなかに浸っていたいと思った。
 15分の休憩を挟んでトークセッション。それまでの張り詰めた空気とは打ってかわりリラックスしたムードのなか、壇上では作家の田口ランディとトランスパーソナル学会副会長の菅靖彦氏がシャーマニズムとボロットについて語る。初めて目にした田口氏とても小柄な人だった。着物にアイヌの刺繍を施した羽織を纏っていた。それに較べ、管氏はそのなが〜い脚を幾分もてあまし気味に折りたたみ椅子に腰掛けていたのが印象的。枯れたワイン色のコーデュロイパンツの裾からは靴下と脛の部分がにゅぅと飛び出していた。まるで自分の体のサイズにいまひとつ馴染めないでいるような氏の素振りには少し笑った。
 ひと通りボロットの来日までの経緯やシャーマニズムについて語られると、やがて通訳の女性(若い、外語大の学生バイトみたいな女性だったが、淀みなく通訳をこなし話しぶりもすごく冷静で、耳に心地よい話し方をする人だった。感心)を伴ってボロットが登場。アジア人の外見と、その彼から発せられるロシア語(たぶんロシア語)と話しながら手振りを交えるところのギャップになんだか不思議な感じがする。話しぶりはとても穏やかだったがそこには確かな核を感じる。なるほど、これが田口ランディが伝えたいことなんだろうな、と思う(田口ランディ アメーバ的日常「アルタイ人の落ち着き」)。淀みなく、それでいて自制された話し方。その話しぶりはとても優しい。
 それでふと思ったのは、野暮な解釈かもしれないけど、シャーマンというのは二項対立を繋ぐ人なのかもしれないということ。二項対立は交わらないからこそ二項対立であり、それゆえに二律背反の葛藤というものが生まれるわけだけど、人間の苦しみというものも煎じ詰めていくと大方この二律背反をもとにしている。人間/自然、自分/他人、男/女、個人/集団、今/昔。シャーマンはそういった本来交わらないはずの二項対立に調和を齎すことで人々を癒す職業なのではないか。だからこそ誰にでもできることではないし、天賦の才ということになってくるのだろうけど。ボロットを説明するときのこの言いようのなさ、彼の歌声、彼の人となり、彼の相貌を説明しようとすると相矛盾する言葉が両立してしまうのはそういうところにあるのかも知れない。それに、その二項対立の調和を「歌」によって齎すというのも考えてみれば不思議だ。「歌」と「声」と「言葉」。言語に興味があり、言語に苦しんでいる者としてはそのメカニズムをもっと突き詰めてみたいとも思う。

 第二部は、少し残念なことに、第一部とは違い、マイクを使った演奏だった。巻上氏や佐藤氏も様々な楽器を使って参加するセッションだった。装いとしては民俗音楽とテクノの融合。エフェクトされたようなヴォイスのエコーや、テルミンの電子音とも馬頭琴の響きともつかないような不思議なサウンドで混成された神秘系ミュージック(こちらでテルミンを疑似体験できます)。もちろんそれはそれでかなりかっこよかったのだけど、第一部のあの神秘さと較べるとすこし「音楽的」に過ぎるような感じがした。もちろんボロットはシャーマンとしてやってきたわけではなく、彼はあくまでアルタイを代表するミュージシャンとして来日したのだからそういったセッションは彼の本業なのだろうけど、彼のCDを結局買って帰った人間の感想としては、そういった音楽的な要素はCDで再現できても、あの喉歌「カイ」のすごさはちょっと再現できない、文字通り生で体験するしかない部分があると思うので、せっかくだからそれをもっと味わいたかったって、なんだか文章がぐたぐただけど。
 少し笑ったのは、その前のトークセッションのときにボロットが肌身離さず持っていたトプショールという二弦の民族楽器を、偉大なシャーマンに作ってもらった洗礼された大切な楽器と説明していたその楽器に、アンプを繋ぐケーブルを差し込んだこと。あれれと思った。民族楽器にもアンプと繋ぐケーブルがあるのか。まいいんだけどさ。巻上氏のテルミン捌きはまさしくトランス状態だったし、音楽的には素晴らしかったです。
 演奏が終わると豪雨のようなものすごい拍手の嵐。みんな本気で演奏が終わってしまったことを残念に思っているようで、そういえば演奏が終わるか終わらないかの間際、大声で「ブラボー!!」とまるで一番駆けのように飛び出した観客がいた。確かにそれぐらい親密な空間だった。もちろん拍手は鳴り止まずアンコールに突入。「シャマン」というわりと短い曲だったが、これは幕を引くにはちょうどいい具合の曲だった。
 そうしてコンサート終了。実に濃い2時間だった。その間一度も安普請のアパートで待つ父親のことを思い出さず。ボロットの歌に触れたあとではそれがいっそう後ろめたいような気がして、私は雨の上がった夜の飯田橋を早足で駅に向かいました。本当は会場に残ってしばし余韻を楽しみたくもあったけど。


ボロットを巡る言説とその雑感のようなもの


 多くの人と同じように、私も田口ランディのブログを通じてボロット・バイルシェフのことを知った(こちら)。gooブログ検索やlivedoor未来検索などで探すと、みんな大体同じようなことを書いている。田口ランディのブログでボロット・バイルシェフを知る。聴いてみたくなった。コンサートに行った。その喉歌に圧倒された。感動した。ほかにこんな楽器が使われていた。トークセッションはイマイチだった云々。今日(この文章を書いていた時点 11/22)最終決戦が行われ優勝はできなかったみたいだけど、慶応のミスコンテストに出場したミス候補のひとりも同じように田口ランディ経由でボロットを知りコンサートに行ったらしくて、このちょっとした偶然には笑った(こちら)。
 もちろんそこには個々人の多分な動機があるのだろうけど、田口ランディ経由で情報を得たこと、その結果をブログにフィードバックするという点では似た行動が目立つ。非常に的外れな見方をすれば、みんな私と同じようにどこかで癒しと共有体験を求めているのかなとも思う。帰属するという点で癒しと共有は矛盾しないからだ。まあ余談です。