最低最悪サイヤ人、サイヤ人の息子

 、というフレーズが子供のころ流行ったのを唐突に思い出した。
 この言葉が全国区で流行っていたのかそれとも自分の周囲にいた極めて頭の悪い連中だけが使っていたのか、そこのところはよく分からないが、とにかくこの言葉には子供心に火をつける何かがあった。そしてそれゆえに恐ろしい勢いで周囲に広まった。この言葉を耳にしない日は一日とてなく、級友との会話はもちろん、家庭で親に頼まれ物をしたときやテレビ番組の合間にはこの言葉が無意味に飛び交い、果ては寝言にまで浸透していったのだ。
 こんな場面もあった。

「お前早口言葉いえるか? 俺いえんで」
「なに、ゆーてみーや」
「サイテイサイアクサイヤジン、サイヤジンノムスコ!
「なんや、そんなんむちゃくちゃ簡単やっちゅうねん・・・・・・・・・
サイテサイクサイヤジサイヤジンムスコ!
「おおぉやるな〜」

なにが「やるな〜」なのかわからないがこれが実に熾烈な争いだった。
 また、その後このフレーズは、言語の持つ範列機能の魅力にとり浸かれたあほガキどもによって様々な進化を遂げる。

そして採集形態がこれ。

当時我が域内でもうひとつ小僧どもから圧倒的な支持を受けていた言葉が当然のようにこの呪禁に回収されていったのだ。偶然とはいえなんとも収まりがよいではないか。


 ・・・・・・。あほ丸出し。その通りである。

 それにしても、である。この「最低最悪サイヤ人サイヤ人の息子」にしても「玄孫(やしゃご)」にしても、気になるのはどうしてこれが悪童たちに熱狂的に受け入れられたのだろうかということだ。多分ドラゴンボールが流行ってた、というのがもっとも大きな理由だろう。そうには違いないのだけど、「サイテイサイアクサイヤジンサイヤジンノムスコ」という語感に、何か子供たちの間に感染してゆく熱のようなものはあった。玄孫にしてもまずは「ヤシャゴ」という響きが受け入れられた、という感はある。これは音声至上主義の表れか、とは思わないけれど、まずは響きあり、そんなところだろう。
(くどいようだが)それにしてもなぜ「息子」?