24歳のイラク

 先日西部ライオンズの松坂投手の結婚会見について触れた際に、彼もNBAフェニックス・サンズ田臥勇太選手も同じ24歳であると書いた(こちら)。今回イラクで殺害された香田証生さんも24歳だった。私もまもなく24歳になる。そこで私はふと、いま24歳という世代は自分たちを取り巻く世界をどのように認識しているのだろうかという疑問を持った。
 香田さんがイラクに行った理由はまだ分かっていない。ただジャーナリストやボランティアとして行ったのではないということだ。そんな彼を人は「無責任」「思慮に欠ける」という。確かに、政治的に見ればその通りだ。ただしそれは、個人という存在が同時に社会的・政治的な存在でもあることを自覚している者の発言だ。あるいは為政者の言葉だ。
 だが、そうった配慮を除けば、彼がイラクに行くことについて認識していた危険性自体は、日本にいる同じ24歳の認識とそれほど変わらないのではないか。また、そういった危険性を認識してもなお彼をイラクに向かわせた何かは、同じように私たちのなかにもあるのではないだろうか。
 したがって、彼を無責任といって片付けるだけなら、それは思考を停止してしまうこととなんら変わらない。彼にとってイラクという場所がどのような場所であったのか、そこに想像力を働かせた上で対処しなければ、ただ社会的・政治的に「自己責任」を叫ぶだけでは、第二第三の香田さんが出現する可能性は為政者にとって(彼を無責任だと批判する人間にとって)いつまでもリスクであり続けるだろう。ときに個人の衝動は政治的配慮を超えるのだから。
 香田証生さん24歳。彼はイラクをどのような場所として見ていたのだろうか?同じ24歳として、自分のなかにあるリアリティと価値観をあらためて考えてみる必要がある。